大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和36年(ワ)1389号 判決 1963年3月28日

原告 加藤清光

被告 岐阜県

主文

被告は、原告に対し、金二十五万円及びこれに対する昭和三十七年十二月十六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を原告、他の一を被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し、金百九万四千七百五十七円及びこれに対する昭和三十七年十二月十六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

「一、原告は、昭和三十五年八月十二日午後四時頃、自己所有の自動三輪車マツダ号に西瓜約二瓲を満載して、岐阜県郡上郡八幡町大字吉野字千虎地内の国道百五十六号線を八幡町に向い北進中、美濃相生橋から南方約五百米の地点において、同所を反対方向より南進して来た訴外籏克己の運転する被告所有の小型自動車(岐た〇七一一号。以下単にジープという)と擦違わんとした際、自動三輪車もろとも道路西側の長良川に転落した。そのため、助手席に同乗していた原告の次女訴外加藤久代は、水面に達する途中扉外に投げ出されて事なきをえたが、原告は、川底に沈没したのち転落によつて破損した運転台の扉を排して水上に浮び出たため辛うじて生命にかかわる危険より脱することができた。

二、右転落事故現場附近の道路状況並びに当時の原告及び訴外籏克己の運転状況は、次のとおりであつて、この事故は、同訴外人の自動車運転上の過失によるものである。すなわち、

国道百五十六号線は、岐阜県郡上郡八幡町より岐阜市に通ずる山沿いの道路で、片側(西側)は長良川に臨んで相当急な崖になつており、その幅員は約四・三ないし四・五米であつて、小型自動車であれば徐行して注意深く運転することにより辛うじて擦違うことも併列して通行することもできるが、一方が大型自動車か普通自動車であれば擦違いや追越しは不可能であるため、随所に幅員約五・三ないし六米近くの待避所が設けられている。そして、前記転落地点は、幅員約四・三メートルで、その北方(八幡町の方向)約三十五米の所に幅員約五・三米の待避所があり、この待避所の北方約四、五十米の間は約五・三ないし五・五米の幅員となつている。

ところで、原告は、右国道の左(西)側寄りを時速約十ないし十五粁で北進中、転落地点の手前(南方)約十八米の地点に差掛つた際、前(北)方約九十米の路上を相当速い速度で南進して来る訴外籏克己運転のジープを発見したのであるが、このジープと原告運転の自動三輪車との中間に前記待避所があるので、ジープがこの待避所で待機してくれるものと期待し、更に待機してくれなくてもジープが東側山沿いに寄つて徐行してくれれば擦違えるものと考えて、そのまま左側長良川沿いを進行した。一方、訴外籏克己は、国道中央寄りを時速約四十粁で南進して来て、前記待避所の手前(北方)において原告運転の自動三輪車を発見したのであるが、この様な場合には、同訴外人としては事故の発生を末然に防止するため、右待避所かそれより手前の幅員の広い道路上で擦違うべく待機すべき注意義務があるのに拘らず、漫然と幅員が約五・三米前後で続くものと軽信してそのまま進行を続け、しかも、前記のように幅員約四・三ないし四・五米の道路上で原告運転の自動三輪車と擦違うにあたつては、左側山沿いに寄つて徐行すべき注意義務があるのに拘らず、いささか速度を減じたのみで、依然道路中央寄りを原告運転の自動三輪車の数米前に至るまで進行し、衝突寸前になつて初めて左側山沿いにハンドルを切つて停車した。そのため、原告は、衝突を避けんとして突嗟にハンドルを左側(長良川側)に切りブレーキを踏みながらハンドルを右側に戻してジープと擦違わんとしたところ、原告運転の自動三輪車は左後輪より長良川に転落したのである。

右のように、本件転落事故は、訴外籏克己が原告運転の自動三輪車と擦違うに際して、事故の発生を未然に防止すべく、まず待避所か幅員の広い道路上で待機すべき義務があつたのにこれを怠り、更に左側山沿いを徐行すべき義務があつたのにこれも怠つた過失によるものであり、この過失は、同訴外人が被告県の山林監督補助員兼自動車運転手で附近の道路状況を熟知している筈であることからすれば、単なる過失ではなく重大な過失である。

三、訴外籏克己は、被告の使用人で八幡山林事業所勤務の林道監督補助員兼自動車運転手であり、当時ジープに同事業所長長谷川宮繁を乗せて前記国道を南進中であつたもので、被告の事業の執行に従事していたものであるから、被告は、その使用者として同訴外人の前記過失に基く本件転落事故によつて原告の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

四、原告が本件転落事故によつて蒙つた損害は、次のとおりである。

(一)  (財産上の損害)

(1)  転落した原告所有の中古自動三輪車は車体検査証代も含めて時価金二十万円、シート、荷台枠、ロープ、ガソリンなどの附属品の時価は金二万二千八百円、搭載していたスイカ約六百五十個の時価は金七万五千円であつたが、これらは、長良川に転落したままであり所有権を喪失したも同然である。それで、これらの損害額は計金二十九万七千八百円となる。

(2)  原告は、転落した自動三輪車の所在確認、被告に対する損害賠償責任追及、岐阜県八幡警察署に対する事情説明等のため、次女久代とともに事故発生の昭和三十五年八月十二日から同月十七日午後まで六日間八幡町の旅館に宿泊して滞在したが、その滞在費として一日二千円合計金一万二千円を出捐し、同額の損害を蒙つた。

(3)  原告は、本件転落事故で唯一の営業用の道具である自動三輪車を失つたため、暫期間忘然自失の有様が続き、なお自動三輪車購入のため金策に苦慮せざるをえず、更に転落の際頭部を数回強打して神経系統に障害を生じたので、自動車の運転が不可能の状態が続き、事故後約一ヶ月半昭和三十五年九月終り頃までの間は運送業を営むことができなかつた。現に原告は、名古屋市熱田区川並町一番地所在の名古屋中央漬物株式会社より、同社が仕入れた漬物の運搬をして運送賃金十二万二千百円の収入を得ることが予定されていたけれども、これも不可能になつた。そして、右一ヶ月半の間の収入は、右漬物の運送賃を含めて一ヶ月平均金九万円が予定されていたから、もし本件事故がなければ、原告の家族四名の生活費として金二万円、自動三輪車の償却費として金五千円、ガソリン、油代として金一万五千円、計金四万円を差引き一ヶ月金五万円の純収入を得ることができたはずである。それで、原告は、一ヶ月半休業したため金七万五千円の得べかりし利益を喪失したことになる。

(4)  原告は、前記のように転落の際頭部を数回強打し神経系統に障害を生じたので、頭部の打撲傷及び神経系統の障害より生じた涙腺異常の治療のため、名古屋市中川区下之一色町の共愛病院及び同市熱田六番町の西垣眼科医院に通院したところ、打撲傷は間もなく治癒したが、神経系統の障害は治癒するに至らず、現在は名古屋大学医学部附属病院神経精神科に通院加療中で、脳波に異常を生じていることが判明しているが、原告は、現在まで治療費として、共愛病院に対して金二千百二十七円、西垣眼科医院に対して金四千三百九十九円、名古屋大学附属病院に対して金九百十九円、合計金七千四百四十五円を支出し、同額の損害を蒙つている。

(二)  (精神的損害)

原告は、本件転落事故により唯一の収入源である自動三輪車を失つたため全く途方に暮れ、かつ前記のように身体の変調に悩まされながら金策に苦慮し、一応現在月賦払で自動三輪車を購入することができたものの、なお神経系統の障害の治療のため名古屋大学医学部附属病院に通院加療することを要し、今後の異常性発生を懸念している有様であり、昭和三十六年八月現在頭痛のため一ヶ月に十日間前後の休業を余儀なくされている。このため、原告の精神的損害は多大であり、転落時及び事故当時から現在まで、更に将来の精神的苦痛は決して軽いものではない。それで、この精神的損害苦痛に対する慰藉料としては金七十万円が相当である。

五、よつて、原告は、被告に対し、財産上の損害金及び慰藉料合計金百九万四千七百五十七円とこれに対する原告の昭和三十七年十二月十五日付準備書面が被告に送達された日の翌日である同月十六日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

と述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

「一、請求の原因第一項の事実は、うち『被告所有のジープと擦違わんとして』との部分のみ否認し、その余は争わない。

二、同第二項の事実は、原告運転の自動三輪車が転落した現場附近の道路状況については争わないし、また、訴外籏克己がジープを運転して国道百五十六号線を南進中、原告運転の自動三輪車を発見して左側山沿いの道路端に待避停車したこと、原告運転の自動三輪車が右停車中のジープに接近した際その左後部から長良川に転落したことは認めるが、その余の事実を否認する。

本件転落事故発生当時の原告及び訴外籏克己の運転状況は、次のとおりであつて、本件転落事故は、同訴外人の自動車運転上の過失によるものではなく、同訴外人の自動車運転上の措置とは全然関係なく生じたものである。すなわち、

訴外籏克己は、八幡山林事業所に勤務しているものであるところ、昭和三十五年八月十二日同事業所長長谷川宮繁が岐阜県郡上郡美並村釜ヶ滝林道工事施行監督の要務を帯び同現場に赴くことになつていたのに、数日来の雨のため郡上八幡駅と深戸駅間が運転休上となつたので、同所長を深戸駅まで送るためジープに乗車させて、同日午後三時四十分頃同事業所を出発し、国道百五十六号線を時速約三十粁で南進中、同日午後四時五分頃、本件事故現場北方の路上に差掛つたのであるが、附近は転落地点を含めて約百米の間ほぼ直線路であるため、この直線路に入つて進行しているうち、転落地点より北方約三十五米の所にある待避所を通過した後に、前(南)方曲り角から直線路に入つて対向北進して来る原告運転の自動三輪車を認めたが、その時におけるジープと自動三輪車との距離は約四十米であつた。そこで、同訴外人は、原告運転の自動三輪車を通過させるため直ちに減速停止の措置をとり左側山沿いの道路端に待避停車したのであるが、この措置は、原告運転の自動三輪車がジープの西側路上を何ら支障なく通過するに十分な時間的場所的余裕をもつてなされた。それで、同訴外人運転のジープが停車した時には、原告運転の自動三輪車は、ジープの約五米前方まで接近して来ていたけれども、そのまま時速約十五粁の同一速度で進行を継続してジープの西側路上を通過しようとしたのであるが、その先端が停車しているジープの運転台横近くまで進行して来た時その左後部の方からゆるやかに西側の崖下に転落して行つたのである。なお、右転落事故発生直後における現場の状況は道路端が幅約〇・五米、長さ約二米の範囲にわたつて崩壊し、原告運転の自動三輪車の左後輪の通過を示す車輪痕が道路端から約〇・五米内側に長さ約二米にわたつて崩壊地点まで同地点に接近するにつれて深く残つていたが、この車輪痕によつても原告運転の自動三輪車がジープの西側路上を事なく通過しうる場所的余裕があつたことが十分窺えるのである。

右のように、訴外籏克已が原告運転の自動三輪車を認めた時には、同訴外人運転のジープは事故現場の北方最寄りの待避所を既に通過した後であつたのであるから、同訴外人がジープをこの待避所若しくはその北方の幅員の広い道路上に待機させなかつたとしても注意義務に欠けるところはなく、また、同訴外人は、原告運転の自動三輪車を発見後は直ちに左側山沿いの道路端にジープを待避停車させたのであるから、注意義務を尽したというべきである。

一方、原告は、過去幾度となく本件事故現場を通過していて道路状況をよく知つており、しかも訴外籏克已運転のジープを約九十米前方に認めたというのであるから、そのまま両車が進行すれば事故現場附近で出会うことを十分予測しえるはずで、もし事故現場附近路上で両車が擦違うことに何らかの危惧を感じたとすれば、対向車の発見が早く積載量を超える西瓜を積んでいた原告自身が一旦停車し、同訴外人に対して待避所への後退避譲を要請する等の適宜の措置をとるべきであつたのに拘らず、原告は、これをなさずに進行を継続したのであるが、このことは、原告としても事故現場での擦違いが不安なく可能であると考えたからに外ならない。また、事故現場においては、原告は、同訴外人がジープを停車させた直後にその西側を通過せんとして進行したのであるから、原告としては、道路端に停車中の自動車の西側を通過しようとする場合と何ら異るところがなかつたのである。それにも拘らず、本件事故が発生したのは数日来の雨のため路面がやや軟弱になつていたのに加えて、二瓲積みの自動三輪車に西瓜六百五十個を満載していた自重のため左後部が西側に傾き、自重によつて回復力を失い、道路を崩壊せしめて転落という不測の事態を惹起するに至らせたものでその責任はすべて原告にあり、訴外籏克已の自動車の運転措置とは全然関係のないことである。

三、同第三項の事実のうち、訴外籏克已が被告県に勤務するもので、本件事故発生当時八幡山林事業所の林道監督補助員兼自動車運転手であり、ジープに同事業所長長谷川宮繁を乗せて国道百五十六号線を南進中であつたことは認めるが、その余の事実を否認する。

四、同第四項の各事実をすべて争う。」

と述べた。(立証省略)

理由

一、原告が昭和三十五年八月十二日午後四時頃、自己所有の自動三輪車マツダ号に西瓜約二瓲を満載して、岐阜県郡上郡八幡町大字吉野字千虎地内の国道百五十六号線を八幡町に向い北進中美濃相生橋から南方約五百米の地点において、自動三輪車もろとも道路西側の長良川に転落し、そのため、助手席に同乗していた原告の次女訴外加藤久代は水面に達する途中扉外に投げ出されて事なきをえたが、原告は川底に沈没したのち転落によつて破損した運転台の扉を排して水上に浮び出たため辛うじて生命にかかわる危険より脱することができたことは、被告において争わないで、これを自白したものとみなすべく、証人籏克己の証言及び原告本人尋問の結果によれば、この転落事故は、原告が右転落地点において、同所を反対方向より南進して来た訴外籏克己の運転する被告所有のジープと擦違わんとした際に同地点にあたる西側道路端が崩壊して発生したものであることが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

二、ところで、原告は、右転落事故は訴外籏克己の自動車運転上の過失によるものである旨主張するので、以下この点について検討する。

(一)  まず、事故現場附近の道路状況並びに当時の原告及び訴外籏克己の運転状況等についてみるに、

前記国道百五十六号線が八幡町より岐阜市に通ずる山沿いの道路であり、その西側は長良川に臨んで相当急な崖になつており、その幅員は約四・三ないし四・五米であつて、小型自動車であれば徐行して注意深く運転すると擦違うことも併列して進行することもできるが、一方又は双方が大型自動車か普通自動車であれば擦違いや追越しが不可能であるため、随所に幅員約五・三ないし六米近くの待避所が設けられていること、及び前記転落地点は、幅員が約四・三米でその北方約三十五米の所に幅員約五・三米の待避所があり、この待避所の北方約四、五十米の間が約五・三ないし五・五米の幅員となつていることは、被告において争わないので、これを自白したものとみなすべく、

成立に争いのない乙第二ないし第五号証(長谷川宮繁、竹腰数己及び籏克己の司法警察員に対する各供述調書並びに司法警察員作成の実況見分調書)に、証人籏克己、同竹腰数己、同山本登、同長谷川宮繁及び同繁田泰男の各証言、原告本人尋問の結果、検証の結果(第一、二回)並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、原告は、前記国道百五十六号線の左(西)側、長良川寄りを時速約十ないし十五粁位の速度で八幡町に向つて北進中、転落地点の手前(南方)約二十米の曲り角を左折し、転落地点を含め約百米にわたつてほぼ直線路となつている路上に入ろうとした際、転落地点の手前約十八米の地点において、前(北)方約六十米以上(転落地点の北方約四十米以上)の路上中央部分を時速約三十五ないし四十粁位の速度で対向南進して来る訴外籏克己運転のジープを発見したが、そのままの速度で道路の左側寄りを、自動三輪車の左後輪が西側道路端より約五十糎ないし一米内側を通るように進行し自動三輪車の前部が転落地点からその手前約一米位の間の路上(左後輪が転落地点の南方約三、四米位の路上)に差掛るまで、そのまま進行したこと、一方、訴外籏克己は、八幡山林事務所に林道監督補助員兼自動車運転手として勤務していたものであるが、当日同事業所長長谷川宮繁が郡上郡美並村釜ヶ滝林道工事施行監督の要務を帯び同現場に赴くことになつていたのに、数日来の雨のため郡上八幡駅と深戸駅間が運転休止となつたので、同所長を深戸駅まで送るためジープに乗せて、その日の午後三時四十分頃、同事業所を出発し、深戸駅を午後四時三十分頃発の列車に間に合わせるよう前記国道を南進して、前記直線路に入り、時速約三十五ないし四十粁位の速度で道路の中央部分を進行中、転落地点の手前(北方)約四十米の路上に差掛つた際、転落地点の南方の曲り角を曲つて右直線路に入り時速約十ないし十五粁位の速度で対向北進して来る原告運転の自動三輪車を認めたが、そのままの速度で道路中央部分を進行したこと、そして、同訴外人はジープの前部が転落地点の手前約十米の路上に差掛つた時、原告運転の自動三輪車をしてジープの西側路上を通過させるため、道路左(東)側山沿い寄りを徐行する措置をとり、時速約五粁位の速度で右自動三輪車と擦違おうとしたが、同訴外人が右措置をとつた時には、原告運転の自動三輪車は前記のようにその前部が転落地点からその南方約一米位の間の路上に差掛つていたこと、ところで、原告は、右のように同訴外人運転のジープが道路中央部分を前方約十米余の路上まで迫つて来たので、衝突を避けて擦違うため、道路左(西)側長良川沿い寄りを徐行する措置をとり、自動三輪車の左後輪が西側道路端より約二、三十糎内側を通るように徐行しながら、道路東側寄りを徐行するジープと擦違おうとしたのであるが、原告の右徐行の措置と前記訴外人の徐行の措置とは殆んど同時位になされたこと、ところが、原告運転の自動三輪車の左後輪が転落地点路上に差掛つた際、同車輪は西側道路端より約二、三十糎内側の所に来ており、ジープはその前部が転落地点附近(僅かに北方)路上に差掛つていて、自動三輪車の右側面とジープの右側面との間隔は約五十糎であつたが、転落地点の道路端(自動三輪車の左後輪の下の道路端)が幅約二、三十糎、長さ約一米にわたつて崩壊し、自動三輪車の左後輪の方からゆるやかに西側長良川に転落して行つたこと、そこで、訴外籏克己は、即座にジープを停車させたこと、そして、右転落事故後、事故現場たる西側道路端は、自動三輪車の左後輪の通過を示す車輪痕が、右崩壊部分の南方約二ないし二・五米、西側道路端より約五十糎内側の地点から、崩壊部分たる道路端より約二十糎位の所まで、長さ約二ないし二・五米にわたつて、崩壊部分に接近するにつれて深く残り、この車輪痕に副つて道路にひびが入つていたことが認められ、右認定に反する乙第二ないし第四号証の各供述記載部分、証人籏克己、同竹腰数己及び同長谷川宮繁の各証言部分並びに原告本人尋問の結果部分は信用できないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、原告は、訴外籏克己がジープを東側道路端に避けたのは原告運転の自動三輪車と衝突寸前になつてからのことである旨主張し、原告本人は、この主張に副うようにその際両車の距離は約一米位しかなかつたと供述しているのであるがこの供述部分は、証人山本登の事故後の現場附近の道路状況についての供述や証人籏克己、同長谷川宮繁及び原告本人の自動三輪車転落直前の両車の位置についての各供述と対比して到底信用できない。なぜならば、右各供述を綜合すると、原告が西側道路端を徐行する措置をとつた後自動三輪車の左後輪が転落地点に差掛りジープと擦違わんとするまでには、自動三輪車は少くとも三、四米進行していることが認められるからである。一方被告は、訴外籏克己が原告運転の自動三輪車を認めたのは転落地点の北方約三十五米の所にある待避所を通過した後であり、しかも直ちに徐行し左側山沿いの道路端に待避停車した旨主張し、証人籏克己は一部右主張に副うような供述をしているのであるが、成立に争いのない乙第五号証、検証の結果(第一、二回)によると、同証人は、原告運転の自動三輪車を発見したという地点について、司法警察員の実況見分の際には転落地点の北方約十八米の地点を指示し、当裁判所の第一回検証の際には転落地点より北方約六十二、三米の地点を指示し、当裁判所の第二回検証の際には転落地点より北方約三十五米の地点を指示して、それぞれ異つていることが明らかであるので、同証人の自動三輪車を初めて認めた地点についての供述部分はにわかに信用し難いのみならず、原告運転の自動三輪車が転落地点を含む直線路に南方から入つた際における転落地点からの距離(同地点の南方約十八米)、自動三輪車及びジープの当時の速度等を考慮すると、訴外籏克己は遅くとも転落地点の北方約四十米の路上において(すなわち前記待避所を通過する前に)自動三輪車を認めたと認めるのが相当である。もし、同訴外人が右待避所を通過後に自動三輪車を認めたとすれば、その際における自動三輪車の位置は、両車の速度等からして転落地点の南方約十二、三米以内の路上ということになり、これは自動三輪車が前記直線路に入つて約五、六米以上も進行して来た後ということになるので、同訴外人に前方注視義務に反するところがあつたといわなければならないが、同訴外人は証人として右義務に反するところがあつたとは述べていないからである。またジープの助手席に同乗していた証人長谷川宮繁は「ジープがスピードを落して道路の左側へ寄つて行く感じを受けたので前方を見ると約十五米位前方に三輪車が来ていた」旨供述し、証人籏克己も「最徐行で擦違う心算で運転し、ジープと三輪車が擦違おうとした際にはジープの速度は時速五粁前後であつた」旨供述しているので、これらの供述からしても、訴外籏克己はジープの助手席から見て原告運転の自動三輪車が前方約十数米の路上に迫つて来てから左側山沿い寄りに徐行の措置をとつたものと認むべきで、自動三輪車を発見後直ちに山沿いの道路端に待避停車したとは認められない。それ故前記のように認定したのである。

(二)  前記認定事実によると、もし転落地点の道路端が崩壊しなかつたならば、原告運転の自動三輪車は長良川に転落することなく無事訴外籏克己運転のジープの西側路上を通過しえたであろうといえるので、一見、本件転落事故は道路端の崩壊のみがその原因であつて、同訴外人のとつた運転措置とは関係がないかのようである。

しかしながら、証人籏克己、同竹腰数己及び同山本登の各証言、原告本人尋問の結果、検証の結果(第一、二回)並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、前記国道百五十六号線のうち本件転落事故現場附近は、未舗装であり、前記のように幅員四・三ないし四・五米で狭いため随所に待避所が設けられている程であり、しかも西側長良川沿いの崖は石垣又はコンクリートで固めてないため(なお、本件事故現場附近の崖は事故後石垣で固められている)、西側長良川寄りの道路端は路盤が弱くて崩壊しやすく、本件事故前にも道路端の崩壊による自動車の転落事故が発生したこともあり、土地の者とかこの国道を頻繁に利用する自動車運転手であれば、右のように道路端が崩壊しやすいことを知つており、訴外籏克己も平素より本件事故現場を何回となく通行していて附近の道路状況はもちろん道路端が崩壊しやすいことも知つていたこと、そして、本件事故発生の日は数日間雨が降り続いた直後であつたため、道路端は路盤が一層弱くなり崩壊しやすい状態となつていたこと、及び、本件事故当時原告運転の自動三輪車は西瓜約二瓲を満載していてその進行状態から荷物を満載していることが判るほどであつたことが認められ、この認定に反する証人籏克己の証言部分は信用できないし、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。それ故、訴外籏克己が転落地点の北方約四十米の路上において対向北進して来る原告運転の自動三輪車を認めた時、同訴外人としては、当然、ジープと自動三輪車がそれぞれ左側通行して擦違う場合自動三輪車は西側長良川寄りの崩壊しやすい側を通行することになるのであるから、荷物を満載した自動三輪車が西側道路端に寄り過ぎるようなことがあれば道路端が崩壊し転落事故を惹起するに至るかも知れないと予測すべきであり、かつ予測できたはずであるといわなければならない。そして、前記のように道路端が崩壊する危険性のある場合、道路端から如何程内側を自動三輪車の左後輪が通れば安全であるかどうかについては明確でないのであり、しかも、前記認定のように本件事故後事故現場たる道路には道路端から約五十糎内側にもひびが入つていたことが認められるので、一応自動三輪車の左後輪が道路端より少くとも五十糎以上内側を通るように運行する必要があると仮定して、自動三輪車とジープが転落地点附近路上で双方とも進行しながら擦違うとすると、検証の結果(第一、二回)によれば、ジープは左(東)側山沿い寄りを最徐行しかつ自動三輪車もジープにできるだけ接するように最徐行して初めて可能であることが認められるのである。

従つて、訴外籏克己が原告運転の自動三輪車を認めた時は前記認定のように転落地点の北方約三十五米の所にある待避所を通過する前であり、ジープと自動三輪車との間には右待避所のほかに待避所がなかつたのであるから、かかる場合、同訴外人としては、たとえ右のように両車が最徐行することにより事故現場附近路上で擦違うことが不可能ではないとしても、まず対向車たる自動三輪車の安全を期するために、右待避所のある路上で擦違うように待機すべく(このことは、自動車運転手たる証人竹腰数己が「自分は待避所の手前で向うから小型の車でも来たら待避所に入る」旨供述していることからも明らかであろう)、またもし、待避所に待機しないで擦違おうとする場合には、自動三輪車が接近して来ないうちにできるだけ速かに、左(東)側山沿いの道路端に停車するとか道路端を最徐行し、自動三輪車が西側長良川寄りの道路端より約五十糎以内に寄り過ぎることなくジープの西側路上を通過して無事擦違いができるようにして、道路端の崩壊による自動三輪車の転落事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたものといわなければならない。

ところが、前記認定のように訴外籏克己は、転落地点の北方約三十五米の所にある待避所の手前(北方)で原告運転の自動三輪車を認めたのに右待避所で待機することなくそのまま進行し、自動三輪車との距離が双方の速度からみて徐行措置をとるべき距離として充分とは認め難い約十米余になつたとき初めて左(東)側山沿いの道路端を徐行する措置をとつたのであり、そのため、原告は、道路左(西)側を、自動三輪車の左後輪が西側道路端より五十糎ないし一米の内側を通るように進行して来ていたのに衝突を避けて擦違うため更に左側道路端へ寄つて徐行せざるをえなくなり、左後輪が西側道路端より約二、三十糎内側を通る結果となつたため、その道路端が崩壊し、自動三輪車が転落するに至つたものであることが認められるのである。

それ故、本件転落事故は、道路端が崩壊しなければ発生しなかつたであろうことはいうまでもないけれども、訴外籏克己が原告運転の自動三輪車と擦違うに際し道路端崩壊による転落事故の発生を未然に防止すべく要求される注意義務を怠つた過失にもよるものであるといわざるをえない。

一方また、原告本人尋問の結果によると、原告は、本件事故現場たる国道を事故前七、八年間にわたつて毎年五ないし八回位自動三輪車で往復したことが認められるので、原告も本件事故現場附近の道路の西側長良川沿いの崖がコンクリートや石垣で固めてなかつたことなど道路の状況をよく知つていたことが窺える。それで、たとえ原告が本件事故以前に現場附近で道路端崩壊による転落事故が発生したことがあることを直接には知らなかつたとしても、原告は、約二瓲の西瓜を満載した自動三輪車を運転して数日来の雨で路盤のゆるんだ西側道路端を通れば或いは道路端の崩壊を来たして転落事故を惹起するに至ることがあるかも知れないと予測すべきであり、かつ予測できたはずである。従つて、原告としても、訴外籏克己運転のジープが待避所で待機しないで進行して来るのを認めた時には、同訴外人に対して、待避所までジープを後退させるよう合図して待避所のある路上で擦違うようにするとか、積荷している自動三輪車自体を西側道路端から一応安全と考えられる間隔を置いて停車し、軽快なジープをして東側山沿い側を徐行させるようにするとかの措置を講じて転落事故の発生を未然に防止すべきであつたといわなければならない。ところが、前記認定のように原告はジープを認めた後も従前どおり時速十ないし十五粁の速度で自動三輪車の左後輪が西側道路端より五十糎ないし一米の内側を通るようにして、ジープとの距離が双方の速度からみて徐行措置をとるべき距離として充分とは認め難い約十米余に迫つて来るまで進行したため、自動三輪車の左後輪が転落地点の南方約三、四米の路上に差掛つた際、衝突を避けて擦うべく更に西側道路端へ寄つて徐行せざるをえなくなり、左後輪が西側道路端より約二、三十糎内側を通ることとなつて、その道路端が崩壊し、自動三輪車が転落するに至つたものであることが認められるのである。それ故、本件転落事故の発生については、原告にも訴外籏克己運転のジープと擦違う際に要求される注意義務を怠つた過失があるというを免れず、一半の責任があるといわなければならない。

三、次に、訴外籏克己が被告の被用者で、本件事故発生当時、八幡山林事業所勤務の林道監督補助員兼自動車運転手として同事業所長長谷川宮繁をジープに乗せて前記国道を南進中であつたことは、当事者間に争いがなく、前記認定事実によれば、同事業所長は、当日郡上郡美並村釜ヶ滝林道工事施行監督の要務を帯び同現場に赴くことになつていたのに、数日米の雨のため郡上八幡駅と深戸駅間が運転休止となつたので、訴外籏克己において、同所長を深戸駅までジープで送る途中であつたもので、同訴外人は、被告の事業の執行に従事していたものであることが明らかである。それ故、被告は、同訴外人の前記過失によつて原告の蒙つた損害を賠償すべき義務があるといわなければならない。

四、そこで、原告の蒙つた損害について検討する。

(一)  (財産上の損害)

(1)  自動三輪車等の喪失による損害。原告本人尋問の結果によつて真正に成立したと認められる甲第三号証に、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、本件事故当時原告の運転していた原告所有の自動三輪車は、五七年型マツダ号の中古車で、昭和三十三年頃附属品代を除いて代金二十万円で買受けたものであり、昭和三十五年八月七日に代金二万四千五百円で買受けた西瓜を約二瓲位積んでいたが、本件事故によつて長良川に転落して川底に沈んでしまい、その発見が遅れたため陸揚げする程の価値がなくなつていることが認められる。そして、右認定事実によれば、本件事故当時における自動三輪車の時価は、その附属品を含めて金十五万円と認めるのが相当であり、また西瓜の時価は金二万四千五百円とみるべきであり、原告はそれらの所有権を喪失したも同然であるから、原告は、そのために計金十七万四千五百円の損害を蒙つたというべきである。(なお、原告本人は、西瓜は八幡町においては約八万円位で売れると述べているが、これをもつて西瓜の時価ということはできない。)

(2)  自動三輪車の所在確認等のための滞在費用。成立に争いのない乙第五号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、次女久代とともに本件事故の発生した昭和三十五年八月十二日から同月十七日の午後まで八幡町の酒井屋旅館に五泊して滞在し、長良川に転落沈没した自動三輪車の所在調査、八幡警察署員に対する事情説明、同署司法警察員の実況見分への立会、八幡山林事業所長長谷川宮繁や訴外籏克己に対する損害賠償方の交渉などをなし、滞在費として原告及び次女久代の両名で一日金一千円の割合で合計金五千円を支出したことが認められる。それ故、本件事故のため原告が滞在費として支出したことによる損害は、金五千円ということになる。

(3)  休業による得べかりし収入利益の喪失。原告本人尋問の結果によつて真正に成立したと認められる甲第四号証の一、二に原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、原告は、自動三輪車を所有して、燃料、青果商及び運送業を営み本件事故発生前は総収入より生活費自動三輪車の維持費、ガソリン代等諸経費を差引いて一ヶ月金三万円の純収益を挙げていたこと、そして、右事故発生前に、名古屋中央卸売市場内の訴外名古屋中央漬物株式会社との間に、信洲北大井農業協同組合より入荷する漬物の樽を枇杷島駅より同訴外会社まで一樽二十五円で運送することを引受けていたところ、右漬物は昭和三十五年八月十六日から同年十月十九日までの間に四千八百八十四樽入荷したのであるが、本件事故で自動三輪車が長良川に転落して使用不能となるとともに、原告自身、転落に甚因する身体の障害のため、事故後約一ヶ月半ないし二ヶ月間にわたつて、右漬物の樽の運送はもちろんその他の営業も休業するのやむなきに至つたことが認められる。それ故、原告が休業したと主張する一ヶ月半の間の得べかりし収入利益は金四万五千円となり、原告は、本件事故によつてこれを喪失し同額の損害を蒙つたというべきである。

(4)  治療費。原告本人尋問の結果及びこれによつて真正に成立したと認められる甲第五ないし第十一号証によれば、原告は本件事故による転落の際頭部を強打したため、頭重、眩量がするようになり、昭和三十五年八月二十六日から同年十月四日まで、名古屋市下之一色町の共愛病院に通院して治療を受け、一旦治療を中止していたが、なお頭重、眩量がするとともに右眼の流涙が甚だしくなつたので、昭和三十六年四月十二日から暫期間同市熱田区六番町の西垣眼科医院に通院して治療を受け、また同年五月四日及び同月十二日には前記共愛病院で治療を受けたこと、しかし、その後も頭重等の後遺症があるため、昭和三十七年五月三十日からは名古屋大学医学部附属病院神経精神科に通院して治療中であること、そして原告は、これまで治療費として、共愛病院に対して金二千百二十七円、西垣眼科医院に対して金四千三百九十九円、名古屋大学医学部附属病院に対して金九百十九円、計金七千四百四十五円を支払つたことが認められる。それで、原告が本件事故のため治療費として支出したことによる損害は、金七千四百四十五円となる。

以上のとおりで、財産上の損害は、合計金二十三万一千九百四十五円となるのであるが、本件事故の発生については、前記のように原告にも過失があり、それが原因の一つとなつているといわなければならないので、これを斟酌して右損害額を金十五万円に減額するのが相当である。

(二)  (精神的損害)

原告本人尋問の結果及びこれによつて真正に成立したと認められる甲第八号証によれば、前記認定のように原告は、本件事故によつて自動三輪車もろとも長良川に転落し、辛じて生命にかかわる危険より脱することができたが、営業用の自動三輪車を失つて一時休業するのやむなきに至るとともに、転落の際頭部を強打したことから身体の変調を来し、今後もなお頭重など頭部外傷性後遺症があるため相当期間の治療を要する状態であることが認められるので、原告が相当の精神的苦痛を受けたことは明らかであるから、前記認定の本件事故の情況や本件事故の発生については原告にも過失があり一半の責任を負わなければならないことなど諸般の事情を斟酌して、原告が受けた精神的苦痛に対する慰藉料は金十万円をもつて相当と認める。

五、よつて、原告の本訴請求は、財産上の賠償金十五万円と慰藉料金十万円合計金二十五万円、及びこれに対する原告の昭和三十七年十二月十五日付準備書面が被告に送達された日の翌日であること記録上明らかな同月十六日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるのでこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用し仮執行の宣言は相当でないのでその申立を却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 堅山真一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例